萩・津和野紀行


山口瑠璃光寺…いいお天気でした

11月の連休に「行ったことのない県をなくそうキャンペーン」の一環として萩・津和野へ。
萩と言えば、幕末から維新にかけて有名な人がいっぱいいますが、私は日本史が好きなくせして何故かその時代だけが苦手です。…自分でも理由はよくわかんないけど。
まあ、そんなことも言ってられないし、史跡はやはり前知識を入れてから訪ねる方が楽しいに決まっているので、司馬遼太郎先生の「街道をゆく 長州路」と「世に棲む日々」(←こっちは吉田松陰と高杉晋作の話)を読んで予習…中。

連休前の東京駅はえらい混雑でした。仕事を終えたちょうどよい時間の飛行機が無かったので、山口県小郡まで新幹線で行くことに。しかし、新大阪まで3時間弱、新大阪から小郡まで2時間。いやはや、日本列島は細長いですな。

新大阪までは「のぞみ」、新大阪でひかりレールスターに乗り換えて小郡まで。
この、ひかりレールスターという電車、東海道では走っていなくて、機会があったら是非乗りたいと思っていたけど、乗ってみて正解。2列2列のシートで広いし、シートも座りやすい。なによりゆったりできるのがいい。

と、いうわけでこの日は山口県の小郡にたどり着き、駅前のビジネスホテルで1泊。

翌日、小郡から湯田温泉に出て中原中也の句碑がある高田公園、中原中也文学館を見学した。

これがわたしの古里だ。
さやかに風も吹いている
ああおまへは
何をして来たのだと
吹き来る風が私にいふ。

(中原 中也)

別に意識したつもりはないのだけれど、この旅行、「山口・島根出身の文学者めぐり」というような、珍しい様相も呈してました。山口文学巡りの一館目のこの中原中也文学館はそれほど大きな設備ではないのだけど、観光地の文学館にしては珍しくきちんと整った展示がされていて、私のような中原中也初心者にも分かりやすく、上級者の人だったらきっと一日いてしまうであろう展示の充実度でした。

湯田温泉から山口市内へ。荷物もあったのでタクシーに乗ったけれど、タクシーのおじさんが親切な人で、時間の都合上観光をはしょってしまったサビエル聖堂や藩庁の門や山口県庁などわざわざ遠回りしながら熱心に説明してくれました。


瑠璃光寺五重塔

瑠璃光寺へ。小春日和の非常にいいお天気だったのでお目当ての五重の塔もすごく綺麗に見えた。ここでも親切な地元のボランティアガイドの方が案内してくださる。何しろ山口(というか幕末)の歴史については勉強中なので非常にありがたい。ガイドの方によれば、塔の姿がこんなに綺麗に池に写ることは年に何日もないそうだ。

本当に形が整っていて綺麗な五重塔でした。

はつ夏の 山のなかなる ふる寺の 古塔のもとに 立てる旅人
(若山 牧水)

五重塔の下に建っていた漂泊の詩人若山牧水の句碑。…今は初夏じゃないけど。松尾芭蕉もそうだけど、漂泊の詩人とか旅人とかってすごくあこがれます。

その後、毛利氏のお墓や幕末に会談が行われたという枕流亭(ちんりゅうてい)を見学する。ガイドさんによってやはり説明に個性があり、私たちをガイドしてくれた方は割と淡々と説明される方だったが、その後来たガイドさんは、「あんた、その場にいたんかい!」とつっこみをいれたいくらいに臨場感にあふれた説明をしていたのがなんともおもしろかった。(だって、本当についさっきまでそこに坂本竜馬がいたみたいな話なんだもん)

バスで秋芳洞へ。
三連休の初日だけあって流石に混んでいた。圧倒されるほどに大きい鍾乳洞であったが、中の通路はそんなに広くない。ので、行きの人と帰りの人と立ち止まって眺める人と、ガイドさんの話を聞く人、写真を撮る人で非常にごった返している。湿気と人気に圧倒されて、ちょっと気分が悪くなってしまった。

げげ、まずい、まだ旅行は始まったばかりなのに…などともんもんとしていたが、なんのことはない途中で一旦外に出て新鮮な空気を吸ったらあっさり治ってしまった。そして、復路は夕方になってきたので人も減り、日本最大の鍾乳洞のスケールを十分堪能することができた。

秋芳洞から本日の宿泊地、萩へ。…と思ったら萩に行くバスは一時間も前に終バスが行ってしまった。あわててバス路線と電車の地図をにらめっこ。バスに乗って最寄り駅に出て、そこから列車を乗り継いで東萩に行くしかないのか。しかし、乗り継ぎがうまく行ったところでえらい時間がかかりそうだ。わあ、どうしようと思い悩んで、バス営業所に相談してみたら、途中のバスステーションで乗り継ぎをして行く方法を教えていただいた。私たち用の乗り換え時刻表?まで手書きでいただきました。
おかげで一時間とちょっとで無事萩に到着。
今日の教訓:見知らぬ土地では、悩むよりまず、プロに聞いてみよう。

翌日。今日もいい天気である。午前中は青海島へ。東萩から40分ほど列車に揺られて長門市へ。ここから支線に乗りかえて仙崎にいくはずが、時刻表の罠にひっかかかってしまい、次の列車はお昼過ぎ。距離にして3kmくらいなので駅でレンタサイクルを借りて、海辺の道をサイクリング。

仙崎から遊覧船で青海島一周。連休なので遊覧船もやはり混んでいて私達の乗った便は臨時便。待ち時間なしで乗れてラッキーだったんだけど、どうやらこの船、他の船と比べてかなり小さい(いや、ぼろい?)らしい。見所のないところでは後ろから来た船に追い抜かれるし…。でも岩と岩との間や、岩がアーチ状に鳴っているところなど、他の幅がある船だったら無理だと思われるところを通過して行く。波も穏やかで1時間くらいの周遊を満喫した。

仙崎の駅の「金子みすヾ館」も見学しました。文学館2つ目。駅舎を利用していて風情はあるけど展示物を詰め込みすぎていてちょっと狭い印象。それでもビデオの資料が整っていて、仙崎の風景の中の金子みすヾの詩を観ることが出来ました。

そして、仙崎といえば、海。海といえばうに丼!(独断と偏見ですが)
遊覧船乗り場の近くの食堂で食べたうに丼。うにがとろけるみたいで、美味しかった〜。


青海島一周の遊覧船から


仙崎のうに丼!


イチョウの松蔭神社

その後、萩市内へ。
松陰神社へ行く。やはり行楽シーズンなので混んでいたが境内はイチョウが色づいていて綺麗だった。松下村塾、松蔭遺墨展示館などを見学する。境内にはやはり吉田松陰にあやかって学業成就のお守りなどが販売されていたが、そういったお守りにまぎれて「縁結び」のお守りが売っていたのにはちょっと笑ってしまいました。(司馬遼太郎先生の著作によれば吉田松陰先生はその生涯において極端に女性と接する機会が無かったそうなのです)

松蔭神社の裏手から、坂を上って伊藤博文生家、伊藤博文旧居、玉木文之進旧宅、吉田松陰誕生地、高杉晋作の墓所などを抜けて、東光寺へ。天気もよく、紅葉も綺麗で暖かく、お散歩気分でとことこと上っていく。
東光寺は毛利家の奇数代の墓所がありました。墓所には約500台の石灯籠が並び非常に荘厳な雰囲気でした。

翌日。
今度は萩城下をレンタサイクルで散策。
萩城址や桂小五郎旧宅、菊屋家住宅や当時の家老の住居跡などを自転車で快適に回る。
予習の甲斐あってか、城下の同じような印象の旧宅をいくつも回っても、「ああ、ここは○○さんのおうち」とか「こっちは××さんの生家ね」とそれぞれ違った印象で捉えられたのは良かったです。
また、土塀が昔のまま残っている場所では、夏みかんの実が土塀からのぞいていたりしていかにも風情がありました。
そして萩から今度は津和野へ。


鍵曲(かぎまがり)と夏みかんの土塀

そのまた翌日、なおかつ最終日。
今日は津和野。このたび始まって以来ずーっといいお天気で暖かかったのに、今日は小雨模様。しかも、寒い。そんな中を今日もレンタサイクルで町めぐりです。レンタサイクル屋のおじさんが手袋を貸してくれました。最低気温5度のこの日、非常にありがたかったです。

最初は津和野駅前にある安野光雅美術館へ。ここは私のたっての希望です。昔、安野さんの描く緻密な花の絵や旅の風景の絵本を読んで以来、ずっと心に残っていたので。
実は平日の昼間だったので、ほとんど館内は貸しきり状態で気に入った絵を独り占めしながら見ることが出来ました。


津和野の鯉。丸々してます

雨の中を、自転車で散策しつつ「森鴎外記念館」へ。館内は暖房が利いていたので、ほっとしつつ…実物を見学しました。そういえば、「吉田松陰遺墨展示館」を入れれば4つ目の文学館見学です。鴎外の書跡や映像や写真などを眺めながら鴎外先生の足跡に思いを馳せました。

一日中小雨が降ったりやんだりで、非常に寒かったのですが、雨の中落ち着いたたたずまいの津和野を一日楽しみました。
ちなみに、この旅の間では司馬遼太郎先生の「世に棲む日々」は読了せず、山口から帰ってからもしばらく幕末に思いを馳せながら読んでいたのでした。

<おわり>